ペットの収骨/最愛の猫、マロの遺骨を拾わなかった訳

猫と僕

ファンデルワンの三浅です。

毎日、ペットのメモリアルグッズを作っています。

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2020年7月、写真の猫(マロ)は天国へと旅経ちました。

葬儀はせず、一晩マロに寄り添い、手をつないで一緒に寝て、たくさんお話ししました。

頭や体を撫でてやり、よく頑張ったと褒めてやりました。

翌日、マロを火葬にしました。

骨を拾うかと聞かれたので、収骨はしないと言いました。

その理由をお話ししたいと思います。

過去の経験

我が家では以前、大きな犬を飼っていました。

亡くなった当時はまだペットの葬儀や火葬も一般的ではなく、火葬場に直接問い合わせすると勝手口のような通路に通され、愛犬の火葬をしてもらいました。

その時は収骨という扱いもなく、そのままペット用の供養塔に納骨してもらうという流れでした。

愛犬のお墓には時々お参りに行っていますし、そこに行けばまた会えると思っています。

だから、マロも同じようにその供養塔に入れてあげたかった。

供養塔の方がマロにとっての幸せだと思って・・・

ペットを飼う事はご縁だと思います。

私はマロとご縁を頂き、我が家に受け入れました。

しかしマロにとっては仮の住まいだと思っています。

つまり、マロの人生(猫生)を私が借りて、マロも我が家を借りている。

その期間が終われば、マロは旅立ち、新たに自分の居場所へと行ってしまう。

そこにはたくさんの友達がいて、おやつも沢山あって、いつも幸せでいられる。

つまり天国。

供養塔に入れば、天国へ行けると私は信じています。

もしマロの骨が我が家に残っていたら、マロが心残りになるのではないか・・・

そんな心配があるのです。

私のマロへの思いはこちら「虹の橋で待っていなくて良いからね」もご覧頂けると幸いです。

亡き猫はもうそこにはいない

私が遺骨に執着しないのは理由があります。

自分の体も、猫の体も、それは仮の体だと思っているからです。

マロは骨になりました。

そして同時に、もうマロはそこにはいません。

千の風ではないですが、今マロは風になって大きな空を飛びまわり、時には私のすぐ近くに来てくれて、時には自分の好きな場所でおやつを食べて友達と遊んで暮らしています。

猫は自由な生き物です。

マロにはそうやって自由に生きていてほしい。

幸せとは何か

自分にとって本当の幸せとは、自分が納得できることだと思います。

「これでよかったんだ」

と自分で納得できる方法をとるのが良いと思います。

遺骨を持ち帰り、これからもずっと一緒にいたいと思う人はぜひそうしてあげて下さい。それが一番の幸せだと思います。

たぶんペット達も一緒にいるのが幸せだったでしょう。

クッションをお届け後に、ペットの祭壇のお写真を送って頂くこともあります。

クッションの隣にはかわいい骨壺が置いてあります。

ここに、デザインさせて頂いたペット達が眠っているんだな、

そう思いながら、お客様からの心温まるお礼メールを読ませて頂き、また一人元気になってくれたことを嬉しく思っています。

・お客様の気持ちの変化

三浅俊幸

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