ペットの最期を看取ることが出来なかった後悔

皆さんこんにちは、ファンデルワンの三浅です。

本日もペットロスの相談に乗りつつ、作品を作ったりこのブログを書いたりしています。

リンキング

今日のモデルはみぃちゃんにご協力頂きました。

お客様から、ペットの最後を看取ることが出来なかったと言われることがあります。

「最後は私の腕の中で…、といつも話しかけていたけれど、私が出掛けている間に旅立ってしまいました。」

そう言われる度に、私はマロという猫を思い出すのです。

マロの最期

天国の猫

皆さんと同じように、私にも大好きだった猫がいます。

最期は闘病の末、ある日の朝、出勤前に息を引き取りました。

その時の様子はこちらをご覧ください。

その後お客様からペットロスの相談を受ける度に、私はマロを思い出します。

相談は毎日のように受けていますので、すなわち毎日マロを思い出すのです。

最初の頃は辛かったのですが、今ではマロとの絆がずっと続いているようで嬉しい事でもあります。

しかし、時々「看取ることが出来なかった」という相談を頂くと、私も急にあの日(マロが亡くなった日)の朝を思い出すのです。

犬部という映画

先日「犬部」という映画を観ました。

保護犬をテーマにした映画で、とても内容の濃い映画でした。

その中で、愛犬を看取ることが出来ずに後悔するシーンがあり、私はマロを思い出しました。

マロが亡くなてもうすぐ4年になりますが、当時の事が鮮明に思い出され、涙があふれてきました。

この映画は色々な事を教えてくれましたが、ペットロスの悲しみは何年経っても消えないという事も教えてくれました。

でも、またマロに会えてような気持になって今は少し嬉しいです。

犬の気持ち、猫の気持ち

もう20年くらい前の事、ムックというニューファンドランド犬を飼っていました。

ムックも早朝に旅立ってしまったのですが、兄が起きて様子を見に行くとまだ温かいムックが行きをしていなかったそうです。

野生に近い犬猫たちは自分の死期を分かっていて、最期の時が近づくと群れ(家族)から離れて一人で死を迎えると聞いたことがあります。

実際に私が子供の頃は、犬や猫は外で飼っていて、死ぬ間際に逃げ出したという話はよく聞いていました。

ムックは家の中で飼っていたので外には出る事が出来ず、玄関のドアの前で眠るように逝ったそうです。

猫はどうなのでしょうか。

犬と違ってクールな所がありますので、あまり飼い主の事を考えていないのかもしれません。

でもマロの最期を見る限り、マロは私に歩み寄って来てくれました。

甘えん坊だったので私に抱かれたかったのかもしれません。

私の腕の中で眠りたかったのかもしれません。

最期の力を振り絞って、フラフラな足取りで、私の顔を見ながら…

こんな風に考えているとまた涙が込み上げてきてしまいます。

看取ることが出来なかった後悔

マロが亡くなった時、私は息が浅くなったマロを妻に託して出勤しました。

職場は家のすぐ近くなので一旦出勤した後、妻の出勤時間に合わせてすぐに帰るつもりでしたが、マロの最期には間に合いませんでした。

あの日、たった一日の事なら、出勤せずにマロの傍にいてやることも出来たのではないか。

その後悔は今でも残っています。

その後、考えた末に私なりの答えにたどり着きました。

後悔の数ではなく、楽しかった数を数えてあげよう。

堂々巡りは続きますが、後悔があったり、楽しかった事があったり、色々な想い出を全部ひっくるめてマロの感謝しています。

お客様からのご相談

お客様によって、最期の状況は異なります。

幸せに見送ることが出来た人、出来なかった人。

前を向いて頑張っている人、頑張る事が出来ない人。

一人ひとり違った対応になりますが、お話しを聞き、作品を作り、またお話しを聞き、

どんな子だったとか、何が好きだったとか、そういう事を話していく中で

徐々にお客様の気持ちが前向きになっていく様子が見える時、

この仕事の大切さを感じます。

my dog cat cushion

今日のお客様は、1年前にペットを亡くされたお友達のお誕生日プレゼントにと、亡くなった子のブランケットをご注文下さいました。

お送り先様の支えになれるよう、今日も作品作りに励んでいます。

作者紹介

三浅俊幸

ニット作家:三浅俊幸

始めたきっかけは我が家の愛犬、愛猫でした。うちの子の写真で編んでいると「作って欲しい」という声があり、それが口コミで広がり今のお仕事に繋がっています。皆様とペットのお話しをしながら作品作りをしています。

ペットオリジナルクッション

作成シーン

ペットロスの相談に乗りながら糸を編んで作ってます。